意識~分離があるから統合できる~
今日のテーマは人の「意識」についてです。
分離意識と統合意識、ワンネスという言葉など、聞いたことあるという方も多いと思います。
私たちは、肉体という魂の器を持って、生きています。
その視点から見ると、「私たちはそれぞれ別々の存在である」というのは、なんら疑う余地のない明白な真実だと、感じられます。
ザックリ言うと、それが分離意識というものです。
それに対して、私たちはもともと「大きなひとつの魂の集合体」であり、魂の成長のために一旦その場所を離れ、分離した存在という錯覚を持ちながら生きている、という考え方があります。
広くて深い海そのものが「本来の私たち」で、その中にある無数の小さな波が「ニンゲンを生きている私たち」だと。
大雑把ですが、それが統合意識(ワンネス)というものです。
私は、ロンドンで心理学のコースを学んだ時に、悟りの教えとも宇宙のしくみとも言えるような、こうした事柄についても教わりました。
しかし、分離と統合について学ぶと「すべてが元はひとつ、という大海のような意識を持てなくてはダメだ」のように、自分を追い立てるような思考が、逆に生まれたりもします。
こころを癒す方法を学んだ時に、「私の内にあるすべての傷を癒し、フラットに出来事を眺められる自分にならなくては…」と、完璧な理想像を抱いてしまうのと同じです。
そんな極端な思いに走る自分も経験し、思うのは、「生きている限り、分離意識もこころの揺れも、ずっとある」ということ。
だってね、ニンゲンなんですもん。
ニンゲンやってる間は、持っていて当たり前。
自分が一番かわいかったり
努力しても結果が出なくてヘコんだり
他の誰かのことが羨ましくて妬ましかったり
反抗期の子どもの受け答えにイライラしたり
いつも同じパターンに陥ることへ嫌気がさしたり
毎日毎日、夕飯の献立を考えるのが憂鬱だったり
洗濯物にティッシュが入っていて、こころが折れたり
地域の役員仕事をクジで引いちゃって、クラクラしたり
小さなことも大きなことも、いろんなことが起こるから。
自分が大海だなんてとても思えなくて、ザブンザブンと荒れ狂う波でしかいられない…そう思う時も、必ずあります。
でもね、よく考えたら、
いろいろな思いを味わうこと
悩んで迷って怒って泣いて、そしてまた、笑うこと
そんな経験をするために、私たちは「ニンゲン」をしている魂なんだよな…って、ふと思うんです。
そして、分離意識バリバリで、自分と他人を比べたり、誰かの言動に傷ついたと感じたりする「わたし」がいるからこそ、何か救いはないのかと懸命に出口を探すのだろうと。
そして、真実を見つける。
私たちは、こんなにも様々な経験や思い、感情や痛みをくぐりながら、懸命に魂の成長を求めている存在なのだと、知るようになる。
私も、あなたも、あの人も、どの人も、すべて。
一人一人が、「それぞれの生」を、懸命に生きている。
そう思う時、なんとも言えないような、愛おしい気持ちに包まれます。
そしてこの感覚が、ワンネスに通じるものなのかも…と思うのです
分離しているという意識があるから、統合意識も味わうことができる。
だから、デコボコしていて、ゆらゆら揺らいで、不完全、そんな自分の姿も卑下しなくていい。
そうやって懸命に生きているあなたは、魂の視点で見れば、もう既にたくさんたくさん、成長しているから。
今日も明日も、私たちが自分への慈しみを持てますように
そして、それぞれの場所から、あたたかなエネルギーが四方八方へと広がることを願って