自分がイヤになってしまう時は…
最近、3歳の末っ子が花粉症??という感じで目をこすっているので、小児科で診てもらったところ、案の定「何かしらのアレルギー」と言われました
上の娘(中学生)は、元夫が喘息もちだったので、乳幼児期にかなり食べるものに気を遣いながら育てたせいか、特に何のアレルギーも出ずに成長しています。
それに比べ末っ子は、大きな兄姉に囲まれていることもあり、ごく小さい頃から大抵のものは食べさせてしまっていて
それでも今までは不調もなかったので、気にしていませんでした。
アレルギーだと医師に言われた時、私のなかで反射的に「母親である私のせいだ」という思いが浮かびました。
十分に気を配らず、出来合いやレトルトも食べさせている。
上の子が幼児だった頃は、決して食べさせていないお菓子も。
乳製品だって砂糖だって、たくさん摂っている。
この子や家族の体調は、私にかかっているのに。
そう言って、自分を責める声がします。
自分を攻撃したり、もしくは外界の「敵」から防御したり、そういったこころの動きは、知らず知らずエネルギーを消耗します
なんだかよく分からないけど、最近とても疲れてる…という感じです。
責める声が強く出ている時、私はひとまずそれを「眺める」感じで過ごします。
その「主張」に入り込んでしまわずに、少し離れたところから。
おチビが、こんなに小さいのに目がかゆいなんて、可哀想。
変われるなら、変わってあげたい。
もっと私が、食事や生活に気を配っていたら良かったのに。
手を抜いてばかりで、仕事中心になっているからだよ。
ずっと治らなかったらどうするの。
いろんな声が聞こえてきます。
そして、それらを聞くと、胸がチクチクしてしまう感じがします。
あぁ、私は悲しいんだな…と気づきます。
ゆっくりと、息を吐いてみます。
心配なんだね。
おチビが辛そうにしていると、自分のせいだって思っちゃうね。
そう思っていることに、気づいたよ。
私が悪いんだって思うと、悲しくなるよね。
治すには、どうしたらいいのかなって悩んでしまうね。
こころの中で話しかけながら、縮こまって顔を伏せている自分のそばにいる、そんなことをイメージします。
胸のチクチクはあるけれど、こわばった身体が少しだけ緩みます。
もう一度、ゆっくりと、息を吐いてみます。
こころのしくみを知っていても、日常の中では、こんな風に落ち込んだり悩んだり、怒ったり泣いたり、します。
だって、生きているから
こころのしくみを知ることの良さは、悩みがまったく無くなることではなくて、「悩んでもいいんだと思えること」なのだと、私は思っています。
悩む自分、もがく自分、イケてない自分、見たくないような自分。
それらを感じる時も、「そういう時もあるよな…」と思いながら、今ここに居ることができる。
目を逸らしたくなるような自分のことも、そっと見守っている、もう一人の自分がいることを知っている。
あぁ、大丈夫だ。 大きく息を吐きながら、思います。
私は、完璧ではない。
私は、でこぼこしている。
私は、ダメなところがいっぱいだ。
でも、だからこそ、誰かのでこぼこに対して、そっと手を添えたい気持ちになれる。
それで、いいんです。
それが、いいんです。
でこぼこしているあなただからこそ、手を伸ばす必要のある「誰か」に気づくのかもしれません。
そしてきっと、あなたにしか手の届かない「誰か」が、あなたのことを待っている
私たちは、完璧ではない。
私たちは、でこぼこしている。
私たちは、ダメなところがいっぱいだ。
でも、だからこそ、助け合える。
そして、それを知ることは、喜び。
確かに生きているという、証。
あれやこれやと惑い、もがきながらも、さまざまな人と繋がっていけることに感謝を
そして、それぞれの場所で日々、ちいさくてあたたかな支え合いが、生まれることを願って